What's your motto

総合商社を早期退職しドイツで起業したワケとは?【Natto24/UMAKIYA 柴ありさ】

What's your motto

ドイツとブラジルの架け橋になるべく、”納豆”と”日本食通販”で起業

就活生に大人気の業界で、高年収としても知られる総合商社を1年で退職しドイツへ移住。パートナーのひとことから起業し、事業拡大に向けて奔走する日々を送る。海外で活躍されている日本人のモットーとキャリアパスにスポットを当ててインタビュー。今回は、ドイツ・フランクフルトで納豆屋と日本食通販を運営する「Natto24/UMAKIYA」の柴ありささんです。

“無理”だと思わなければ無理なことなど存在しない

総合商社からドイツへ移住し、日本食の会社を経営する柴さん。安定のレールを自ら外れ、挑戦し続ける柴さんのモットーとは何だろうか。

柴さん:私のモットーは、「“無理”だと思わなければ無理なことなど存在しない」です。

物事が頓挫してしまう(=“無理”になってしまう)第一の原因は、自分が頭で「無理だ!」と考えて制限をかけてしまうことによります。自分が諦めずに「出来る」と思っていれば、どんな形であれ必ず達成できるというのが私の持論です。逆に自分が、「無理だ」と思った瞬間から、可能性があった物事も、実現不可能になってしまうのです。

これは中学時代から大切にしているモットーで、昔は「無理なもんは無理だよ。実際、無理だと思ってなかったのに、ありさは高校受験で志望校に行けなかったじゃん。」と友人から批判されました。確かに志望校には受からなかったものの、志望校合格に向かって勉強をしたことで、望んでもいなかった偏差値が高い高校の進学科へ入学できました。

もちろん、犯罪だとか常識から外れたそういう類のものに関してではなく、自身の夢、目標という観点においては、前向きに、果敢に挑んでいく。
そこですぐに望んだ結果が得られなかったとしても、その後の人生にどう影響するかは分かりませんし、想像したよりも良い結果が返ってくることすらあります。失敗続きでも失敗から学んで軌道修正をし、腐ることなくチャレンジしていくことで、開くはずの無かった別の扉が開くこともあります。端から無理だと思わず諦めずに挑戦していく。それが私の生き方です。

自分で限界や制限を作らず、何事にもポジティブに取り組む柴さんのモットーです。

ブラジルで叶えたい大きな夢

総合商社を1年で退職し、ドイツでの挑戦を決意

“無理”とは思わずに挑戦し続ける柴さん。入社すれば安泰とも言われる総合商社を退職し、ドイツへ移住をすることになったきっかけとは?また、不安はなかったのだろうか。

柴さん:新卒で総合商社へ入社して半年経った時に、旅行で日本に来ていた今の主人と出会いました。その後、入社1年が経つ時にドイツへ移住することになります。

主人と知り合ってからドイツ移住を決断したので、会社の人にはかなり反対されました。上司や先輩方からは、「上智大学ポルトガル語卒は、ドイツでは学歴白紙と一緒(ドイツでは就職時に今までの経験や何を勉強してきたかを重視するため)。スキルや経験が足りないお前が欧州に行っても大丈夫なのか。」や「不確定な未来に人生を投資するなら、安定している商社に残った方が良いし、何よりもっと下積みをした方がいいんじゃないか。」などと言われました。私の将来を見据え、心配しているからこそ掛けていただいた言葉だと思います。

確かに、総合商社のお給料は日本でサラリーマンをしていればトップレベルかもしれません。会社に残って学べることもまだまだ多くありました。

しかし、一度きりの人生で数年先の未来を考えた時に、他の人が取らない選択を取ることに何故か心が躍りました。【幸運の女神には前髪しかない】ということわざがあります。このチャンスを逃したら他には無い気がして、商社で得られる生涯年収や経験よりも、ワクワクする挑戦の道を気が付いたら選んでいました。

職場の方からは反対されるるも、自分の感性に従い渡独されました。【本人提供】

パートナーのひとことが起業への道へ

ドイツに来た当初は、ドイツの語学学校へ通う日々を送っていました。そこから起業することとなった柴さん。起業までの経緯とは

柴さん:元々ドイツへ移住したタイミングでは、大学や大学院に進学する気持ちで来たので、語学学校に通っていました。学校へ通い始めてすぐに「毎日語学の勉強をするだけではつまらない。」と思うようになりました。前職の同期に後輩が出来始める一方、ドイツ語だけを学ぶ生活に不安を覚え、何かしようと考えました。

そんな時に主人から「納豆を作るのはどう?」との提案がありました。正直、想像もしていなかった提案だったので驚きました。

主人によると、日本から来る出張者が、2週間のドイツ滞在時に納豆を大量に持って来ているようでした。また、叔父がブラジルの政府系農業機関に勤めているので相談したところ、「ブラジルは大豆の生産量世界一なので、ブラジルの大豆を使って納豆を作る考えは面白いかもしれない。」とアドバイスを頂きました。ルーツのあるブラジルにも関わることができるという点から、納豆ビジネスを始めることになりました。

先ずは、オランダにある商社からブラジル産大豆を仕入れ、自分で納豆を作り手売りしました。ドイツへ移住して3ヵ月目で、ドイツ語がまだそこまで分からなかったので、日系のイベントに足を運んで日本人に直接ビラを配ったり、試食をしていただき、フィードバックをいただくところから始めました。スモールスタートで事業を立ち上げ、少しずつ大きくしてきました。

困難なことはたくさんあります。

例えば、起業3年目に、元々の狭い事務所から現在の事務所兼倉庫・工房へ移動する際、建物ごと購入することになりましたが、物件購入時のローンを組むために融資をしてくださる銀行が中々見つからず、ドイツの銀行や支店を周りました。11社目でやっと借りることができましたが、実際はお金を借りた後の方が、返済を考えながら事業を行う必要があるのでもっと大変です。
毎月必ず売上を出さなくてはならないため休めません。物件を購入した後も元々は鉄工場であったため、食品倉庫へ建て替えが必要です。鉄製造機械の片付けから壁や床の工事に至るまで、融資とは別にお金必要だったりするので、実際に回っているビジネス以外のところで時間とお金がかかってしまう。そういった資金繰りや、投資のタイミングを間違わないように考えることなどは大変です。

一方、自分で仕事をデザインできるのはやりがいに繋がっています。会社員だと会社が大きければ大きいほど、上からの指示が色々な立場の人を経由し自分に届きます。そのため、直属の先輩や上長とのやりとりだけになることもあります。現在は会社の代表として、他の会社の代表やお客様と直にやりとりしてビジネスの方向を決定し、自分たちで考えた仕事を実行していけるのが良い点です。私たちの納豆を購入した方から感謝されたり、私たちの仕事が誰かのためになっていると感じる際にやりがいを感じます。

パートナーのひとことからドイツで起業を決意した柴さん。日本では考えられないアクシデントも乗り越えながらご活躍されています。【本人提供】

ルーツがあるブラジルのために

ドイツで日々奮闘されている柴さんは、今後どのようなビジョンを描いているのだろうか。

柴さん:幼いころから「ブラジルのために何かしたい」という思いがあり、ドイツに来てからはその思いが、「ブラジルに職業訓練校のような学校を建設し、自分で働いて自分で稼ぐ力を身に着けてもらう」という人生のビジョンに変わりました。私の母親は日系ブラジル人で、私も幼少期にブラジルに住んでいました。ブラジルは格差が非常に大きい国で、貧乏な家庭に生まれてしまったら抜け出せない現状があります。そういった方々が、麻薬や窃盗などの犯罪に手を染めるのではなく、社会でやっていけるような専門技術を身に着けられる仕組みを作るのが人生の最終ゴールになります。

現状、今の会社を大きくすることが直近の目標となり、日本食だけではなくて新しいビジネスを始めても良いのではないかと考えています。ゴールに向かうその過程で、実際にブラジル人を会社に迎え入れ、一緒に働けたらいいなと考えています。

大丈夫。あなたはできる。

最後に日本のZ世代を始めとする若者に向けてメッセージをいただきました。

柴さん:これから社会に出る方が多いと思いますが、社会人になると褒められることはほとんどありません。大学時代周りから「スゴイね」と言われていても、社会に出ると褒められることなんて滅多にない。先輩からの注意や上司からダメ出し、取引先から怒られたりすることもあります。全ての言葉を受け取り、期待に応えようとしていると、だんだんと人格否定されたような気持ちになってきて、いつかは心が壊れてしまいます。そうならないためにも、自分の心の中に架空の自分を作り出し、その“架空の自分”のプロダクトや仕事に対してダメ出しをされていると考えるようにしてみてください。相手からアドバイスや注意を受けた際には“架空の自分”を育てていくように改善を重ねていき、自分と少し切り離して考えれば、心を保ちながら成長していけるはずです。

もちろん、誹謗中傷は言語道断ですが、アドバイスや注意は、自分が作り出したものに対して向けられているものであって、自分自身の人格を否定されている訳ではないと思えば、気持ちが少し楽になります。全てを真に受け過ぎず、いい意味で都合よく情報を取捨選択すれば良いと思うし、いい意味で自分に正直に、少しわがままになっても良いんです。

 

Natto24/UMAKIYA 柴ありさ

日系三世。8~11歳までをブラジルで過ごす。当時から貧困に興味を持ち、大学時代にサンパウロのスラムへ行き、教育の重要性を痛感する。ブラジル関連の仕事を希望し総合商社に入社したものの、電力関係事業でフィリピンを担当。1年で会社を退職し、東京で出会ったパートナーが住むドイツへ移住。ドイツでの納豆需要とブラジルから大豆を輸入できることが自分のやりたいことに繋がると考え、納豆屋を開業。翌年には地元の日本食材店を買収し、日本食通販・UMAKIYAとして再構築した。将来的にはブラジルの教育や職業訓練に携わり、格差撲滅を目指す。

 

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