コラム

世界のキャリアに出会う旅|SAMURAI STRANGERS PROJECT~Vol.2~

コラム

世界のキャリアに出会う旅|SAMURAI STRANGERS PROJECTを実施する富永 寛之について

大きな挫折を味わった高校時代の部活動

中学時代までについては世界のキャリアに出会う旅|SAMURAI STRANGERS PROJECT~Vol.1~ご覧ください。

地元の福島県を離れ、サッカーの夢を追いかけ静岡学園へ進学しましたそんな中、さっそく試練が訪れます。
 「自信のあったドリブルが通用しない。」「リフティングも何もできない…」

僕のサッカー技術が何もかも、全く通用しませんでした。本当に何もかもです。この時点で僕は大きな絶望を感じました。「このままじゃやばいな…」と思い、チーム練習はもちろん、自主練習にも励みましたが、1年時の5月に足首を捻挫してしまいました。これが、悪夢の始まりでした。

足首をかばいながら練習したため、膝に水が溜まる怪我をし、復帰したら再度捻挫するの永遠ループを繰り返すこととなります。怪我をするから練習ができず、その間に周りはどんどん上手くなる。焦りから完治する前に復帰し、すぐに怪我をしてしまう。

いつしか僕は「サッカーをする」、「ボールを受ける」のが”恐怖”となりました。
そして、僕のサッカーで成功する道は、理想からどんどんかけ離れていくこととなります。

怪我を何度も繰り返しながらプレーしていた高校時代。足首にテーピングは欠かせなくなりました。

「プロにはなれない。」と自覚

怪我と復帰を繰り返しながらプレーをしていた高校2年時、僕がDチームに所属していた際に衝撃を受ける出来事がありました。トップチームの練習試合が急遽キャンセルになり、Dチームと試合をすることになりました。トップチームには後にJリーガーになる先輩が3人在籍しており、技術とスピードに圧倒されました。
 
特に、現セルテック(スコットランド)に所属する旗手怜央選手は、ありとあらゆる全てが異次元で、「この人がプロになるんだ。」と衝撃を受けました。それと同時に、「自分はなれないかも、、、」と思ってしまったのが、高校2年の夏でした。

サッカーに対して不安を感じつつも日々打ち込み、いよいよ僕たちの代が最上級生となり、新チーム発足の時期が到来しました。それと同時に僕の身体が限界に達しました。

新チームになる高校2年の冬に、”グローインペイン症候群”という股関節の怪我を発症しました。朝、目が覚めると、股関節が痛すぎてベッドから起き上がれないのです。学校も休むくらいの大きな痛みでした。その朝に、「僕はプロになれない。」と思い、完全に心が折れました…。

高校3年時の応援の様子。3年間スタンドから応援する高校時代を過ごした。

高校3年生に進級した時には、コーチとも相談して股関節の様子をみながら夏のインターハイまで部活を続けることにしました。そして、トップチームがインターハイ全国大会が終了した8月上旬、福島からプロサッカー選手を目指して静岡学園へ入学したものの、何ひとつ結果を出せないまま部活を引退することとなりました。

あっけなく日本代表の夢を諦めた後に、人生最大の地獄が待っていることは知る由もなく。
続きは、世界のキャリアに出会う旅|SAMURAI STRANGERS PROJECT~Vol.3~をご覧ください。

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