世界のキャリアに出会う旅|SAMURAI STRANGERS PROJECTを実施する富永 寛之について
サッカー以外の新たな挑戦へのきっかけ
静岡学園サッカー部時代については、世界のキャリアに出会う旅|SAMURAI STRANGERS PROJECT~Vol.2~をご覧ください。
プロサッカー選手として日本代表での活躍を夢見て静学サッカー部に所属したものの、儚く散った高校3年の夏。部活引退後は夏休み期間だったこともあり、サッカー部のツライ練習から解放された反動で中学の同級生や、福島に帰省し沢山遊びました。
遊びほうけていた中、8月上旬に受験した模試の結果が返ってきました。結果は、文系科目で偏差値41。5教科偏差値38でした。進路についてはなんとなく私立有名大学(MARCHなど)や国公立大学に行ければいいなと思っていましたが、高校3年時の夏からではかなり厳しい状況でした。
一般受験は難しい状況下で勝負の夏を過ぎようとしていた、8月28日に模試が再度ありました。その模試も解ける訳がなく、トボトボと帰る最中に、電撃が走ったのです。
本当になんの前触れも、きっかけも無く、急にやる気スイッチが入ったのです。
今でもビックリしますが、やる気スイッチが入り、大学を調べ、志望校を決め、勉強以外(スマホ、テレビ)の誘惑を遮断したのです。たった一日の、模試終わりの夕方頃から起こった出来事でした。高校3年の8月28日から、「本気で受験勉強に取り組み、絶対志望校合格」を目指し、真剣に勉強へ取り組むことにしました。
志望校合格へ猛勉強
高校から県外の私立高校に進学させてくれた親への金銭的な負担を軽くするため、国公立大学を目指すことにしました。しかし、勉強を開始する時期が遅すぎるので、センター試験が5教科5科目で受験可能かつ、2次試験がスポーツの実技で受験できる大学を志望することにしました。
「サッカーで有名大学へ推薦入学するやつに負けたくない。」
「サッカーの敗北を、勉強で絶対見返してやる。」
そんな想いのもと、筑波大学の体育学群を第一志望として受験勉強を開始しました。世間的にも最難関大学を目指す厳しい挑戦とは認識していましたが、自分に負けたくない気持ちが先行しました。担任の先生に志望校を言った時は、信じられない顔をされてビックリしていましたが、背中を押してくれました。
そこからは、とにかく猛勉強の毎日を過ごしました。
平日約10時間、休日約17時間の勉強。一番短い時の睡眠時間は3時間。高校3年の9~10月の昼間には毎日謎の頭痛が襲いました。12月上旬には、【3時間睡眠勉強期間】と名付けて、1週間勉強したところ、自転車運転中に記憶を飛ばします。電柱にぶつかり、左手の甲を骨折、、、。(左手だったのは神様が見ていてくれたおかげ?)そんな死に物狂いで勉強した成果を出す場、センター試験がやってきました。
センター試験の失敗。高崎経済大学入学へ
結論としては、これだけ勉強しても筑波大学はダメでした。
センター試験の国語で200点満点中、72点という絶望的な点数となり、筑波大学への2次試験の出願を諦めました。まさか得意科目の国語でコケるとは思ってもいませんでしたが、結果が全てです。ただ、国語以外の4教科だと約75%の正答率だったため、センター試験4教科で受験できる高崎経済大学へ出願しました。結局2次試験対策をすることになりましたが、本番は怖いもの無しで受験できた記憶があります。確かに第一志望であった筑波大学へは出願すらできませんでしたが、僕の受験勉強になんの後悔も無く、最後までやりきれました。
受験勉強をやりきった達成感を感じながら静岡学園を卒業式を迎え、怒涛の3年間を終了しました。(卒業式は3月1日、前期合格発表は3月6日で、まだ合格かは分かりませんでした…。)
文系大学生ライフを謳歌する続きは、世界のキャリアに出会う旅|SAMURAI STRANGERS PROJECT~Vol.4~をご覧ください。