コラム

世界のキャリアに出会う旅|SAMURAI STRANGERS PROJECT~Vol.1~

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SAMURAI STRANGERS PROJECTとは~Vol.1~

世界のキャリアに出会う旅|SAMURAI STRANGERS PROJECTを実施する富永 寛之について

1998年に福島県で生まれる。
小学3年生からサッカーをはじめる。
中学卒業後、サッカーで静岡の高校に進学。
1度もトップチームに昇格することができず、スタンドからの応援で3年間を過ごす…。
高校3年生の夏に部活を引退し、国公立大学進学を目指し受験勉強開始。
5教科偏差値38から公立大学法人高崎経済大学へ進学。

大学時代は、バイト・サークル・ゼミ・バックパッカー・就活支援団体の立ち上げなど、みなさんが思い描く大学生活を謳歌。
5大総合商社内定を目指して就活するもあっけなく散る。
4社内定をいただいた中から、株式会社山善へ入社。

入社後は、生産現場への工作機械納入の処理・アフターサービスや、生産部材の調達・販売を行うインセールスに従事。
1年9か月勤めた後、2022年12月に退社。

以上が簡単な僕の経歴となります。

福島のど田舎で生まれ育った幼少期~中学時代

上記の通り、僕は福島県で生まれ、中学時代まで育ちました。そんな僕の地元は田舎も田舎。もはや大田舎の小さな町です。同じ福島県内の人に「どこ出身?」と聞かれ、町名を伝えても分からない場合も多いくらいの田舎です。大学時代の友達にGoogle mapで地元を見せたところ「教科書に載る過疎地域じゃん!」と言われた経験もあります。

友達にもバカにされるくらい田舎で育った幼少期から中学時代は、まさに”スポーツ一色”で育ちました。小学3年生から地元の少年団でサッカーをはじめ、ずっとサッカーをしていました。走るのも好きで中学時代はクラブでサッカーをしていたこともあり、部活は陸上部に所属し、サッカーと陸上の往復を毎日繰り返していました。

サッカーは福島県選抜やフットサルの全国大会出場などを達成することができました。
部活の陸上も県大会に出場したり、県のランキングに入ったりと、スポーツでは一定の成績を収めました。福島県の陸上超強豪校から陸上の推薦もいただいたり、、、。

中学時代最大の決意

そんなスポーツばかりをやってきた僕は、「プロサッカー選手で日本代表になる」ことを目指して進学先を決めたいと中学1年時から思っていました。

福島県にはサッカーの強豪校と呼ばれる高校もありましたが、しっくりきませんでした。私は体が小さく、身体能力では勝てない部分を技術で制する選手になりたいと考えていたため、私の志向するサッカーを体現するチームは県内に存在しませんでした。その中でドリブルなどの技術を大切にし、プロサッカー選手をたくさん輩出している高校を探し、全国優勝の実績があり、プロサッカー選手を80人以上出している”静岡学園”への進学を決めました。

中学時代最大の決断を通じ、
【目的(プロサッカー選手で日本代表になる)から逆算し、自分がどのような選択(圧倒的な技術力を付ける)をし、行動するか(静岡学園への進学)】
 を考える能力が自然と身に付いたかなと思います。

静岡学園への進学は、僕にとって大きな成長を遂げた期間であり、就活時の自己PRにも書いたくらい
自分の強みだと思う点でもあります。静岡学園への進学が大きな挫折に、、、。

続きは、”早期退職して世界一周する25歳”ってどんな人??~Vol.2~ をご覧ください!

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