What's up 日本

アジア周遊のはずが1カ国目のタイへ移住【ミスターシーラチャ・中本光則】

What's up 日本

小さい枠にとどまらず、個性を出して自分らしく

若くしてタイへ移住し、20年近く海外でご活躍されている中本光則さん。日系企業の現地法人で様々な職種や経験をした後、起業され複数の事業を運営し、ミスターシーラチャとの異名もお持ちです。これまでのキャリアと客観的に見た日本、若者へのメッセージ等幅広くお話をお聞きする~What’s up 日本~。今回は、ミスターシーラチャこと中本さんにインタビューしました。

タイに魅了されたアジア周遊旅

ーまずは、中本さんが海外へ行くこととなったきっかけは何でしたか?

高校卒業後、歌手になるべく大阪と東京でオーディションやボイストレーニングを受け、歌手活動をしていました。その間、バーテンダーのアルバイトを平行して行っていました。アルバイト先の仲間から旅行代理店の短期ツアーに誘われ、行ったところ案外楽しく、もっと旅をしたいと思う様になりました。本当にひょんなことから海外へ目が向くようになりました。

ータイで生活を始めた経緯を教えてください。

歌手活動は一時中断し、アルバイトで必死に稼いだ100万円を握りしめ、24歳でアジア周遊のバックパッカーへ行きました。一カ国目のタイで泊まったゲストハウスの人と仲良くなり、遊びも覚え楽しみすぎた結果、95万円をタイだけで使いました(笑)。残された5万円で帰国することも検討したものの、タイに残りたいという想いが強く、日本人向けの求人に応募し、タイでの生活がスタートしました。

運命の出会いと地道な頑張り

ータイ生活をスタートした時を振り返っていただけますか?

初めは、日本食の割烹料理店マネージャーとして1年間働きました。常連さんからの熱烈オファーを受け、25歳の時に大手日系企業の現地法人へ転職しました。タイ人のパートナーとの結婚もあり、生活のことも考え東京で1年働きましたが、タイへの想いを捨てきれずにタイへ戻ってきました。その後、しばらくしてタイの恩師と思える社長様に出会い、その社長様がいる日系企業の現地法人へ転職しました。その社長は営業も経営も理解しており、エンターテイナーのような人間性に憧れを抱きながら働きました。

しかし、入社して5年目の時に会社が買収され、社長も日本に帰ることとなりました。その後は、憧れの恩師がいなくなり、モチベーションも下がってしまいました。淡々と仕事をするだけの日々と言いますか。給料も良かったのですぐにジョブチェンジをする決断はできませんでした。

ーそこから起業への準備を進めると思いますが、心境の変化などはございましたか?

元々歌手を目指しており、アーティスト思考と言いますか、誰かに使われたく無いという想いはありました。恩師がいなくなり、淡々と仕事をする中で、「起業したい」想いは強くなっていきました。会社の看板があるから周りの人は仲良くしているのでは?と考えることも増えていきました。

ー起業への想いが強くなったとはいえ、具体的に何から始めましたか。

最初はとことん種まきです。色んな集まりに参加したり、コミュニティを作ったりできることは何でもしました。とにかく自分を売る活動です。すると5年くらいで約400人くらい知り合いができ、自信がつきました。地道ではありましたが、この活動が起業に必要なものだったと思えます。

 

10年以上タイに住んでからの現地起業。はじめから困難があったそうです。

起業したもののどん底からのスタート、、、

ー人脈も広がり、いよいよ起業するわけですね。

ボランティアで参加していたゴルフツアー事業を譲りたいという話を頂きました。まさにここがチャンス!と思い、2020年の2月に辞表を出し、2020年4月に独立をしました。しかし、ちょうどこの時期にコロナが襲来し、ロックダウンしました。最悪のタイミングでツアー会社を独立してしまったので、多分、周りからは「中本終わったな」と思われていたと思います(笑)。会社の看板が無くなり、一番最悪のタイミングでの独立で離れて行く人も多かったです。

ー最悪のタイミングで最悪の業界…この困難をどのように乗り越えましたか。

やはり一番役に立ったのは人脈でした。とにかく仕事がなかったので、「便利屋さん」として何でもやりました。すると、自分のことを心配してくれる人が声をかけてくださり、仕事を振っていただきました。食つなぐのが精一杯で本当に辛い時期でしたが、目の前の仕事を確実にこなしたことが今に繋がっていると思います。

そんな中、当時22年続いていたタイの情報発信媒体:DACOが廃刊の危機にあり、当時の社長から経営を引き継ぐ話を頂きました。昔からメディアをやりたい気持ちがあったので、タイの資産家からの資金調達も達成し、経営を開始しました。現在は事業を縮小し、コロナも開けてきたのでようやく黒字化してきたという状況です。

小さい枠にとどまらず、自分の幅を広げ、自分を表現する!

ー紆余曲折がありつつもタイで20年近く活躍されてきて、今の日本に思うことはありますか?

先代の日本人が海外に進出してきた歴史があり、日本人に生まれてよかったなと思います。特にタイは親日国でもあるため、先代に感謝しかありません。

しかし、今の日本は住みにくい国になってしまったのかなと思うことがあります。経済成長や賃金が伸びないのに物価は上がるといった経済の問題をはじめ、色々な問題があると思います。タイの駐在員の方と話をしても「日本に帰りたくない」と言う人も少なくありません。

ーたしかに今の日本は少しくらい雰囲気が充満しているのかもしれません。

帰国して日本の街を歩くと、上を向いて歩く人が海外と比べて少ない気がします。また、人の目を気にして生きていかなければいけない社会だと感じます。人と違うことをやったら間違いみたいな感じが少し残念です。これからは若い人たちから自分らしさを出せる、自分を表現できる、アイディアをどんどん出せる国になってほしいです。

ー最後の日本の若者へメッセージをお願いします。

どんどん海外に出て欲しいです。今思うと24歳で海外に出て本当によかったと思えます。海外に出たことがいいきっかけになって、自分でやりたいことをやって生きています。海外に出て、こういうことができると思ったことを海外でやってもいいですし、日本でもやってもいいと思う。
とにかく日本を出ることで日本のことを改めて知る。海外という広い世界があることを知る。日本という小さい枠にとどまらず、そこを飛び出して、色々経験して、自分の幅を広げ、表現してください。

 

中本光則
1981年生まれ。岡山県出身。高校卒業後歌手活動で大阪・東京を拠点に活動。24歳のタイ旅行後、タイへ移住。日系企業の現地法人3社で勤務後、2020年4月に独立。現在は、ツアー事業やメディア事業をはじめ多数の事業を経営中。ミスターシーラチャ(タイ東部の地域)とも呼ばれている。
Facebookページ:https://www.facebook.com/nakamoto.peck
バンコクのDACO(ダコ):https://www.daco.co.th/

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